LIFULL HONE'Sさんのメディア「LIFE LIST」に寄稿しました

LIFULL HONE'Sさんのメディア「LIFE LIST」に寄稿させていただきました。

東京都「尾山台駅」周辺の住みやすさは?住環境や魅力を現地民が紹介

 

初めて記名記事の機会をいただき、大変ありがたかったです。

住まいを探す方々のお役に立てることを願っております。

2023年も残り2カ月、キャリアの舵を切る準備をする

身近な人が転職活動をしている。職務経歴書を書くにあたり、彼が今までの仕事についてまとめていたので、私も便乗して現状をまとめてみることにした。すると、今の仕事に虚無を感じていた原因が分かったのである。

使ったのはマイナビのサイトに載っていたフォーマット。

キャリアの棚卸しのやり方 転職活動に役立つフォーマットと活用方法

 

キャリアの棚卸しをしてみて、気が付いたこと

今までの思考を整理して気づいたのは、「業務が会社の利益に繋がっていると実感できないとしんどい」「事業が社会の利益に繋がっていると実感できないとしんどい」という思いだった。

業務が会社の利益に繋がっていると実感できないとしんどい

かつて社会人生活の中で一番悩んでいた時期、「自分の業務が会社の赤字を生んでいる、何の意味もないことをしている」と感じていた。

新規顧客を獲得するのが目的だったのに、顧客一人を獲得するのにかかるお金が高額すぎて、リピートしてもたらしてくれるであろう利益の範疇を超えていたのだった。

この問題は私一人にはどうにもならない、構造的な問題だったので、自らの無力と会社を呪ったものだった。

 

結局その業務は、構造を改革するチャンスがあり、少しだけ利益性を改善することができた。その後、組織が変わるタイミングで別のチームに加わることとなった。

別のチームでの業務は、社内で手つかずだったことが多く、伸びしろも十分にある分野だった。

しかも、以前から興味があった企画やライティングの業務に携わることができたので、私のモチベーションはぐんぐん回復した。

 

事業が社会の利益に繋がっていると実感できないとしんどい

しかし、新しい環境での業務に慣れてくると、だんだん虚無を感じはじめた。「興味がある分野なのに、なぜだろう?」と考えていたが、しばらく答えは出なかった。

 

そして今、キャリアを振り返り、虚無の答えが出た。私は、「会社・事業の根底にある価値観にまったく共感できない」。

 

わが社は、世の中に便利なものを創造するために生まれた会社である。

しかし、私は人間の利便さを追求することにまったく魅力を覚えない。

むしろ私は、過剰な便利さは環境を破壊し、人間の感覚を鈍麻にする「悪」であるという立場だ。

 

世の大企業はSDGsに目を向けており(向けざるを得ず)、たとえ表面的であっても、社会的インパクトの大きい事業を営んでいる者としての責任を負おうとしている。

しかし残念ながら、わが社は環境や倫理に目を向けているとはいえない。

私は、信念とは逆の方向に進んでいたのである。

キャリアの舵を切るために

私の願う社会とは、次のような社会だ。

  • 5年後、10年後、50年後の自分も、健康で文化的な生活を営んでいたい。子どもや孫の代まで、豊かな自然が残っていてほしい。
  • 私は家族や友人、地域とつながりたい。そして、「孤独」による害をなくしたい。誰もがつながり、人の温かみを感じられる社会であってほしい。

こうした社会に貢献することに、私の人生を費やしたいのである。

 

まずは、情報収集から始めたい。

「〇〇士」と名前のついている職種には収まらない気がする。世の中にはどんな取り組みがあるのか。

本を読み、人と交流し、インプットしたうえで、自分の考えを熟成させていく。今年残り2カ月で、全力で取り組んでいきたい。恐れずにいこう。

文章で人とつながりたかった承認欲求の断末魔

知り合ってから約10年。ずっと私の心をかき乱す友人Aがいる。

 

Aは、文章を書く人だ。知り合った当時からAには文章で人の心を動かす能力があった。Aは卒業式で答辞だかを読んでいて、いたく感動した私は、答辞全文を厚紙に印刷して、しばらく部屋に飾っていた。

 

卒業後も文章書きを続けているようで、ときどき、SNSで「書きました」というメッセージとともに、エッセイのURLが貼られていることがあった。社会人になってからは、ライター仕事もちょこちょこ請け負っているようだった。

最近は特に、精力的にエッセイを投稿している。まるで覚悟を決めたみたいに。

 

そんなAの躍進を見て、暗い感情がぐるぐると止まらないのである。

 

文章での表現は、私がやりたかったことだった。

抑圧していたことを文章によって解放し、救われること。人に見てもらうこと。今度は人を喜ばせたり、救ったりすること。

文章で、身近な人に私のことを認めてほしかった。褒めてほしかった。一目置かれたかった。

 

そもそも私が文章を書く原動力は、整理しきれない感情や、説明するほどでもない感動、どうにも一人では抱えきれないことをネットに打ち明けるためだった。

夫ができたことで、感情の処理の仕方がまるで変わった。心が動いたときは、まずは夫に打ち明けた。

前までは、表現することで救われようとしたけれど、シェアすることで思いを昇華できるようになった。そうなってしまった。

 

「シェアする」は、居場所を求めていたころの私の理想だった。だから、今の私は、当時の私から見れば、成長したとも言える。

理想に近づけたはずなのに、Aを見ていると、当時の焦燥感がゾンビのようによみがえってくる。

居場所を探していた遠い自分が泣き叫ぶのだ。うらやましくてたまらない、と。

 

Aがすごいのは、まずは圧倒的に実力があること。そして、身近な人に「そう生きていく」と発信する覚悟を決めたことだ。

私には、どう逆立ちしてもたどり着けなかった。

 

文章を生み出す原動力だった、承認欲求や焦燥感がなくなってしまった以上、何も変えられない。

だからこの感情は、当時の承認欲求の断末魔。いつか、どうか救われてください。

 

そして、今のAを応援する勇気を、私にください。

たとえAにとって、私が人間関係の断捨離の対象であっても。

1年後の自分はこうなっている

この1週間くらい、仕事で病んで、職場で泣きまくり、ずいぶん色んな人に迷惑も心配もかけた。

 

仕事の辞め方をめちゃくちゃ調べた。

同時に、次の道も考えた。そしてわかった。

私は自分の仕事を喜んでもらう人(エンドユーザー)が目の前にいてほしい。

 

私の今の職場での悩みはこうだった。

 

①業務がわからない。何に取り組めば状況が好転するのかがさっぱりだ。

こちらは周りの人たちや、上司が解決してくれた。

そもそも上司不在により顕在化したこの問題。
私の仕事を理解したり、一緒に戦ってくれる人がいないこと。

ベンチャーなのだから言い訳は無用だが、私にベンチャー適性があまりないことは薄々わかってきて、解決策の見えない問題をヒントなしに与えられることがストレスでしょうがなかった。

周りが随分と心配して話も聞いてくれたけど、「自分には何もできないな」と匙を投げられまくった。心は軽くならなかった。

上司が帰ってきて、対岸の火事ではない話の聞き方をしてくれて、責任を一緒に持ってくれる存在のありがたさを感じた。
「一緒に戦ってくれる人がいないと、しんどいまま」という上司の言葉も少し理解できた。

 

②業務に取り組む意義がない。とりわけマーケティングという分野は自分は好きじゃない。

こちらは、前の部署の上司が解決してくれた。

編集部署を作ってみたいと思っているから、そこができたら来い、と言ってくれた。
半年から1年後になってしまうと思うけど、全然保証はできないけど、とのこと。

だからくさらずにがんばれ、と。

誰よりも、私よりも私の興味関心をとらえてくれた元上司。ありがとうございますという言葉に尽きる。
今の道を永遠に行くものだと思っていたから、未来に違う仕事が待っているのだと思えば、もうちょっと今のまま続けてみるか、という気になった。

 

そして、①②は結局好転したけれど(逃げ道を見つけたけれど)、①②がどん詰まりだった期間には、
③会社から逃げたい、もあった。

今の会社から逃げても、次の道を探す必要があった。
何かしらの制作者になること。デザイナーになること。

幸い、心強いパートナーという味方がいるおかげで、この選択肢も前向きに考えることができた。
精神的にも孤独じゃなく、金銭面でもゼロにならない安心感。
(私にも若干の貯金はあったから、それも安心材料だった)

 

①②の解消によって、③もなくなったけれど、いつ私に同じ問題が呼び起こされるか、わからない。

 

大学初期から私を縛り続ける「何かを作る人になりたい」呪いに挑戦しない限り、私は永遠にデザイナーを逃げ道として使うことになる。

もしこのまま結婚して子どもを産んだら、私は「あの頃挑戦しておけば」と、子どもがいる環境を呪ってしまうのだろうか。

私の考えるもっともみっともない姿だ。

 

今の私の最適解は、

「1年間、転職のできる状態までデザイナーの勉強をしながら、編集職に移るタイミングを待つ。もし部署移動が見込めなかったら、転職する」

だ。

 

 

 

うーん、こうやって文章を書いていたら、私はまた自分から逃げている気がしてきたな。

答えが数字で出ない仕事ができたらいいな。と、よく思う。

この1年ぽっちで、身の回りの環境が、ずいぶん変わった。

新しい人と出会って、心を開くというのは、それほど当人にとってインパクトのあることなのだ。

 

学生時代に比べたら、定職に就いて平日は忙しくなったし、プライベートの時間も恋人と過ごしたりして、じっくり自分の考えや言葉に向き合う機会も激減してしまった。

そうやって順調に幸せな分、何かを痩せ細らせているような気もしてならない。

(といっても、今はそういう期間なのだと思っているから、後悔は何もないのだけど)

 

新しく恋人と住む家を借りた際、大家さんがずいぶん歓迎してくれた。

そこで、元企業戦士である旦那さんと仕事の話をしていたのだが、あなたの会社はこうやったら成長する、こうやっていけばいいと畳みかけられ、私はあいまいな相槌しか打てなかった。

事業に異議を見いだせない。楽しくもない。そんな悩みに打ちのめされていた頃だった。

かつて昭和の時代に活躍した人との間にある、スケールと価値観の違いにくらくらした。きっと成長すること自体にやりがいと意義を持っていたのだろう。

 

 

規模は大きくないにしろ、会社という組織に属してみて、ベンチャーが自分に合っていないと思うようになった。

かつてはキャリアや仕事について真面目に話し合える人と一緒にいたい、という動機で入った誠実な人が多い会社。それは間違っていなかったのだが、私自身があまりにも事業への思い入れがなくて、何も語れない。

 

成長すること、上に行くこと、去年よりも今年を良くすること。

成長が当たり前なことが本当につらい。

 

資本主義社会の株式会社においてフィットしないのは当たり前だけど、

自分の思想の覚書として、成長できなかったら終わり、そんな世の中が一番間違っていると思う。美しさより、生活の利便性より、なによりも。

 

上司のひとりも言っていたけど、仕事はゲームなのだ。どうしたら目の前の課題を解決できるか。より効率的にリターンの多い結果を生むほうが得点の上がるゲーム。

 

でも、つまんないゲームを面白くする才能は自分にはないのかもしれない。

仮につまらないゲームが面白くなって、夢中になって、その先に私は何を思うのだろう。

たとえ一生懸命やったことでも、私の糧になったことなんかあまりなかった。

 

せっかくゲームをやるなら、私はこんなゲームをやっています!こんなところが面白いです!って言いたい。

自分の信念に飢えているのだ、昔も今も。

 

 

 

無事引っ越してきたあたりで、

恋人がぽつんと、「〇〇は文章で人の思いをまとめたりする仕事が合うと思うんだよな」と、地域報の助成金取得コンサルの記事を指さして言った。

 

なるほど、文章はもともと好きだし、

小説家ほどのセンスも熱意もない、編集者は忙しいし意義を感じないからやりたくない。これらの仕事は、仕事を作るのも自分たちなので、社会の余分要素だと思ってしまう。

でも、依頼者がいる仕事なら楽しいかもしれない。

私は今まで、伴走しているときが一番生きている心地がした。知り合いの仕事の手伝いをしていたときも、責任者の補助として行灯を作ったときも。

何かを伝えたい、変えたいという意志は自分にはないけれど、この人と社会をつなぎたい、なら、一生懸命になれるかもしれない。

 

 

今はまだ、何をすればいいのかわかっていないけれど、

仕事を辞めたい、から、次はどんなことをすればよさそうか、という思考に切り替われた。

自分のことをよく見てくれている恋人には、本当に感謝したい。

 

 

 

どんな人が聞いても文句のつけようがない仕事には、就けないし、就きたくない、そうプライドの高い自分は言っているのに、優等生の自分は、誰にも文句をつけられたくないと言っている。

新しい自分は、絶対に前者を選びたい。自分の魂を満足させられるのは、自分だけだから、自分の意志のもと判断する賢さがほしい。

冷笑主義から脱したい

めも。自戒。

違う思想を身につけられたら、逃げ続けたものを消化することができるかも。とにかくまだ好きじゃないのです。

人の正義を笑うな。SNSに蔓延する「冷笑主義」はなぜ危険なのか | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)