旅へのあこがれを駆り立てたある芸術

忘れられない芸術作品がある。

ある国についての旅行記を、大きなひとつの部屋に詰めた作品だ。

 

 

 

 

外から見ると、大きな立方体がどーんと立っているような感じで、見晴らしの良い建物の窓際、まさに特等席に、それはある。

立方体の中に入っていくと、すぐ旅の荷物が目に入る。当時20歳のわたしは、旅の荷物の中に煙草が紹介されているのを見て、自分にはたどり着けないおしゃれさを感じた。うぶである。煙草のほかにも、パスポートケースとか、ペンとか、ハイセンスで実用的、そして愛用されているであろうことを感じられる旅グッズが、ジップロックに詰められて展示されていた。

それから、『地球の歩き方』のコピー。実は、この国の名前をわたしははじめて聞いた。地球の歩き方の紹介文によると、どうやらアジアの南にぽつんと浮かぶ、小さな島国のようだった。

 

隣の大きな部屋に進むと、いっきに自分の感覚を総動員させられることになった。

なんとなく、アジアのにおい。壁前面に、その国の雰囲気を伝えるおみやげ物や作品らしきものが展示してある。

くじがある。箱みたいな形の独自の言語で書かれた内容で、下に翻訳文が書いてある。「If you can read this, you're literate!」みたいな内容だったと思う。ゆるい。

作者の旅ノートがある。航空券やレシートが貼られていて、旅のようすをイラストと写真でリアルタイムに記しているらしい。

この国の宗教は、鳥を神としてあがめるものだ、と紹介されている。そういえば壁面の展示にも鳥の仮面がある。ある日になると、国民は鳥の仮面をつけていちにち生活するらしいのだ。道端にたたずむ鳥人間の写真、夜の鳥人間の写真が、神聖で美しい。

 

30分くらい展示の世界に浸っていただろうか。いつかこの国に行こう、さてそろそろ進もう、と部屋の外に出る。非現実と現実の境界をあらわしているような、暗いトンネルをくぐりぬける。

くぐりぬけた先には、大きな窓が待ち構えていた。

 

窓に書かれた、その国との距離を表す文字。

 

Heatwe 6028km

 

そう書かれたガラス張りからあびる日の光、住宅街のならび。

それは見慣れたふるさとの郊外の風景。

 

このときの感動を、わたしはうまく言えない。

うまく言えないけれど、あの異国との距離と、光を、一生忘れない。

 

 

 

わたしは、1分後に、もう一度感動させられることになる。

立方体の裏側の作品解説で、私がいつか行こうと決心したこの国は、実は存在していなかったことが記されていたのだ。

海外を旅した作者の頭の中の場所だったのだ。

この文を見たときに、私はずっと幸せな騙され方をしていたことを知った。あの国の魅力も、あの感動も、すべて作者の中だけにある物語。私は、他人がつくりあげたイメージに心を動かされたのだった。

 

 

 

 

 

 

この展示が、もー大好きなのだ。

 

この作品を見たときに、表現の妙というものを学んだ。説明されて頭で理解するのではなくて、感覚に刻み込まれるものが、たしかにあるということ。むしろ、後者のほうが、心の奥深くを励ましつづけてくれるということ。

 

たぶんそんな記憶に励まされつづけて、私はこの夏単身でヨーロッパを巡ることになったのでしょう。

彼女でいうヘートゥイという国を、わたしも作り上げてきたいのだ。