緑のキャップとビアガーデン

 

「大きいジョッキをひとつ」

 

一番近いレジを通り抜け、わざわざ私が担当する列に来たおじさんは、白髪まじりで、緑のキャップをかぶっていた。父である。

 

 

ビアガーデンのバイトの最終日だった。仕事もそこそこ板についてきたかなというころに、北海道の夏のイベントは終わってしまう。

といっても、3週間かそこらの話なので、特段の名残惜しさもなく(もっと同僚と話してみたかったとは思うけれど)普段通り仕事をしていた。

 

北海道の暑さは、明らかにゆるんでいた。昼間のさすような日差しはなりを潜め、本土のような湿っぽさもどこかに消えてしまった。風が吹けば、涼しい、と嬉しくつぶやけるくらいの余裕がある。

 

接客業をたくさんしていると、色々なお客さんに会うものだけれど、ビアガーデンほど色々な人に会える仕事は初めてだ。若い人もお年寄りも、遊び好きそうな人から穏やかそうな人、たくさんの関係性、はたまたひとり。みんながみんな、ふらっと寄れてとっつきやすい、この開放的な飲み方を求めてやってくる。 どこか浮かれている学生や大人たちが、話し込んだり笑ったり。

 

 

 

どうやら父は、近くでたまたま用事があった帰りのようだった。 ひとりだった。

気取ったものを嫌い、歪んだ頑固の塊みたいな父。そんな父が私の仕事姿を見て、もともと細い目をもっと細めながら、じゃあがんばって、と言う。

緑のキャップ。

迷彩柄に似合うカーキでもなく、私の好きなオリーブグリーンでもなく、緑の絵の具をパレットに出したときのような緑である。3週間のバイト期間、働きづめだったが、緑のキャップをかぶった人に会うのは初めてだった。びっくりするほど何とも調和していない緑。

その頓着のなさを、ああ父らしいなと、素直に受け入れる自分。

 

レジの仕事を抜けて外を回っているときに、ちょうどビールを飲み終わった父が席を立つタイミングに居合わせた。後ろからなんとなく追いかけてみたけれど、私は途中でスピードを緩めてしまった。緑の目印はひとりで去っていって、信号の向こうへ行ってしまった。

 

 

 

帰ってみると、家のテーブルの上に、見慣れた紙切れがぽいと置いてあった。毎日何百枚と手にするビアガーデンのレシートである。品名は大ジョッキ。一番下には私の名前もある。 持ち主はもう眠ってしまっていた。

 

このレシートは父にとって、普段話すことのない私の成長記録になるのだろう。きっと、いつかの似顔絵や肩たたき券や手紙と一緒に。 彼の中の記録のラベルはきっと、社会でがんばってる娘、くらいのものだと思う。

 

 

 

どうあがいても、この人は私の父なのだ。

それをすごく幸せなことだとも煩わしいとも感じない。けれど、こういう距離感の中で生きていくことは悪くない。今ならそう思えそうである。

 

 

 

 

 

とにかく、私のビアガーデンは終わったのでした。いいバイトだったなあ。