カレーライスを食べたい確信

カレーライスを食べたい。間違いない。

 

 

六本木の書店で本を物色していた。ここしばらくバイトバイトバイトで、新しいジャンルを広げる好奇心の余白を失っていたから、こうしてひとりで興味にふけることができる時間は久しぶりだった。何冊か目星をつけ、東京から帰ったら買うなり借りるなりしようと決めて、そのすべての本のタイトルを控えた。その日のピークはここで終わるはずだった。

 

店から出る道すがら、ふと足が止まった。ある雑誌。表紙にはスパイス特集やらなんやらとあった。そういえば今日会った友達が、近頃は空前のスパイスブームだと言っていた気がする。なるほど。そんなバックグラウンドはおいておいて、とにかく表紙のカレーと目が合った。

1秒にも満たないその間で、子どもの頃に置き忘れてきた感情がよみがえってきた。

 

 

「これ食べたい!」という、本能的な気持ちを、久しくすっかり忘れていた。覚えている限り、たしためなくてはならないほど、自分の胃がこんなにわがままになった記憶はない。

今まで、食べるものの内容なんて、正直なんでもよくて、誰かに決めてもらって差し支えなかった。もちろん甘いものが好きだとかさっぱりしたものの気分だとかはあるけれど、べつにその意見を突き通すほど強いものであることは全くない。一緒にいる人が、どうしても焼肉が食べたいというなら、それを否定することはしないと思う。

 

それなのに、どうしたことだろう。カレーライスしか食べたくないのだ。たとえばいま誰かなつかしい人に遭遇して、今から焼肉を食べに行くから来ないかと誘われても、自分は断固としてカレーライスを食べに行く。どうしても、レトルトっぽいまろやかな味ではない、少しサフランの効いたような、いやサフランでなくてもいいから、こだわりのスパイスでもって整えられた味の、ふくよかな辛さをたたえるカレーライスが食べたくなった。ナンじゃだめなのだ。

それは心の奥底に眠っていた、些細過ぎて笑ってしまうけれど、正直な欲望だった。

 

 

そんなこんなでわたしは、21時半という少し背徳感を味わう時間帯に、カレーライスを求めた。池袋の街に(宿が池袋にあったのだ)、それはすぐに見つかった。趣があって100点のお店。すかさずそのカレー専門店に入り、席に座り、メニューの中でいちばんシンプルそうなカレーを8分盛りでオーダーした。

すぐに運ばれてきたポークカレー。銀のスプーンで感慨深くぱくつく。それは頭の中に描いていたスパイスの辛さ。

はあ。じんわりと、これが食べるっていうことだ、と思い出させてくれる瞬間だった。

 

 

ものを食べるということの充足感や幸せを、どこか遠くに忘れているなんて、なんてばかな人間だと思う。でも本当になくしていたのだ。

それをめでたく思い出したのは、六本木の書店の魅力が私を踏みとどめてお腹を空かせてくれたおかげであり、世のスパイスブームがあったからであり、カレーライスが手の届く範囲にあったからであった。

 

かくして、健全に満足するためには、健全に渇望することなんだと知った。

 

 

ということで、誰かにも食べてほしいなあ。もうやんカレー。東京に何店舗かあるみたいだから是非。

もうやんカレー 池(池袋店)

食べログ もうやんカレー 池(池袋店)