とりとめのない選択の話

おととい、捨てたくないけれど捨てなくちゃならない選択肢を、自分から切った。

 

そのような決断をしなくてはならないときに、

あまり経験したことのない心の動き方をしたので、

私はほんとうに、今まで自分で何も決めてこなかったんだなあと実感した。

 

 

信用していない人の言うことに、考えなしに反抗すること。

信用している人の言うことに従うこと。

ネットの言説に踊らされること。

そのときの空気やモチベーションに左右されること。

これらすべて、「それでもやっぱり決めたのは私なのだ」という痛みを引き受けている人ははたしてどのくらいいるのか。

自由を求めて、可能性だけ広げに広げて、その先に残るものはなんなのか?

 

人の愛情には限りがあって、そのリソースの使い方を見極めるとき、

感情だけに振り回されるのは、明らかに悪手だ。

 

 

 

 

いつか、大事な友だちが教えてくれた、

何かを選択するということは、何かを捨てるということだ、

が、初めてわかった。

いや、まだきっと10%くらいだけど、わかった。

時間をかけて、わかりつづけていきたいと思う。

 

これから、色々な可能性をどんどん捨てていくけれど、

それは同時に、どんどん自分を深めていくことにちがいない。

そう考えたらそんなに悪いことではないし、 

そう肝に銘じておかないと、何も選べないままで時が過ぎていく。

 

大切なものは意識してとどめておかないと、すぐにすり抜ける。