糸井重里に憧れはじめたのは、いったいいつだったか。
我が家に語り継がれているものの中に「母のMOTHER2プレイ」というものがある。
ある日、兄たちがふと夜中に目を覚ますと、
母がMOTHER2をやっているという光景を、寝ぼけ眼で見た。
前作MOTHERにハマり、兄たちがやりたくてやりたくて仕方がなかった、発売したてのMOTHER2である。
翌日に兄たちが「お母さんMOTHER2やってなかった?」と素朴に聞くと、
「そんなわけないでしょ!何言ってるのあんたら」と怒られたらしい。
その数日後、押し入れの奥からMOTHER2のソフトが発見された。
という話。
を、私が生まれる前の話なのに、延々と聞かされるものだから、
MOTHERって母が隠したくなるほどすごいゲームなのか、と幼心に思っていた。
その後、私はファミコンでMOTHERをプレイした。エイトメロディーズを延々と聴いた。
ほぼ日のサイトと出会った。ほぼ日手帳を使った、ほぼ日の本も読んだ、渋谷パルコの講演にも行ってみた。全部糸井重里が関わったものたちである。
とにもかくにも、うちの家族がMOTHERを大好きだったように、末っ子のわたしも、糸井重里の世界観が好きだった。
そこには良いも悪いも存在しない、ひとりひとりが尊重されていて、誰も傷つけない、なんて素晴らしい、と思っていたのだった。
いちばん最初に見たのは、「個性的な味付けをした全体主義」という表現で批判をしたツイートだった。
それには全力であらがわないといけない気がする、という主張。
このツイートを見たとき、あれ、と思った。
私はどうしてか、その批判をすんなり受け入れることができたのだ。
それからというもの、コロナやらなんやらで世間が騒がしくなっている中で彼が発する言葉のひとつひとつを刺していくツイートを見かけるようになった。
問題から目を背ける装置。当事者意識のなさ。上から目線。
そうか。私の心を和らげたものは、確かに、ある意味では現実逃避だったのかもしれない、と気づいた。
糸井重里がプロデュースした言葉たちを介すことで、メタ的に世界をとらえなおすやり方は身につけたけれど、私自身は何も変わっていなかったのだ。
実はそれに気が付いていた。でもどこかで、いつかユートピアにたどり着けると信じて、自分の考えに反するような争いや言説を避けていた。主張を持つこと、ぶつけあうことを、徹底的に冷めた目で見ていたように思う。内心で。
私は糸井重里が好きだ。今も心地いい世界観を保ってくれている。
でも、自分をその世界に置くことを盲目的に是と思い込むのは、ちょっと違うことだと考えなおした。
自由には責任が伴っている。自らの手を汚す、という責任の取り方もあるのだということを学ばなくては、凡人は生きていけないし、一生無いものねだりをして不幸になる。
彼がそういうことをしてこなかった、ということでは断じてない。そういう酸いも甘いも通り過ぎた先に作り上げた世界観だと思っている。
しかし少なくとも、20代の人間があそこの世界の人間になったふりをするなど、
到底おこがましいことだった。
そして私はたぶんまだ、糸井も含めた微妙な世界のあり方を見据えて、
それでもきちんと自分の立場をとる、ということを出来ずにいる。
弱くて卑怯なのは誰か。