器はできてしまった

この前、あ〜〜〜なるほどなと思ったことがありまして、こちらのツイートなのですが。

 

 

これを見ても「いや、まだまだ」と考える時期を、既に過ぎてしまったようです。喜ばしいのか悲しいのか。

 

弱さを受容しなさいと言われることがあるが、弱さは弱さなのだから少しずつでも努力して強くしていくべき、少なくとも自分は。

とか思ってたけども、どうやらもうその必要もないみたい。

 

恥ずかしいところや汚いところも、よい側面とうまくやりくりしていくことを許せそうである。

このことできっと失われるものもある。感覚を忘れたり、不理解になってしまったり。でも膨大なもので溢れ返る世の中で、徐々に自分の選択肢を自分の手で狭めていくのは、悪いことではないとおもう。

今の役割をすっかり終えてしまっても、ただ役割が変わるだけなのだと。

 

自分の嫌だったところ、この文章が表現してるような「青くさい」「面白くない」も、もうしょうがないなと思う。今更カラッとした人間には変われない。でもそれでいい。青くささを嫌わない人や、それでも一緒に笑える人といればいい。

この容れ物だからこそできることを、その場その場で探していこう。胸の中の釘がひとつ抜けた気分だ。