1年後の自分はこうなっている

この1週間くらい、仕事で病んで、職場で泣きまくり、ずいぶん色んな人に迷惑も心配もかけた。

 

仕事の辞め方をめちゃくちゃ調べた。

同時に、次の道も考えた。そしてわかった。

私は自分の仕事を喜んでもらう人(エンドユーザー)が目の前にいてほしい。

 

私の今の職場での悩みはこうだった。

 

①業務がわからない。何に取り組めば状況が好転するのかがさっぱりだ。

こちらは周りの人たちや、上司が解決してくれた。

そもそも上司不在により顕在化したこの問題。
私の仕事を理解したり、一緒に戦ってくれる人がいないこと。

ベンチャーなのだから言い訳は無用だが、私にベンチャー適性があまりないことは薄々わかってきて、解決策の見えない問題をヒントなしに与えられることがストレスでしょうがなかった。

周りが随分と心配して話も聞いてくれたけど、「自分には何もできないな」と匙を投げられまくった。心は軽くならなかった。

上司が帰ってきて、対岸の火事ではない話の聞き方をしてくれて、責任を一緒に持ってくれる存在のありがたさを感じた。
「一緒に戦ってくれる人がいないと、しんどいまま」という上司の言葉も少し理解できた。

 

②業務に取り組む意義がない。とりわけマーケティングという分野は自分は好きじゃない。

こちらは、前の部署の上司が解決してくれた。

編集部署を作ってみたいと思っているから、そこができたら来い、と言ってくれた。
半年から1年後になってしまうと思うけど、全然保証はできないけど、とのこと。

だからくさらずにがんばれ、と。

誰よりも、私よりも私の興味関心をとらえてくれた元上司。ありがとうございますという言葉に尽きる。
今の道を永遠に行くものだと思っていたから、未来に違う仕事が待っているのだと思えば、もうちょっと今のまま続けてみるか、という気になった。

 

そして、①②は結局好転したけれど(逃げ道を見つけたけれど)、①②がどん詰まりだった期間には、
③会社から逃げたい、もあった。

今の会社から逃げても、次の道を探す必要があった。
何かしらの制作者になること。デザイナーになること。

幸い、心強いパートナーという味方がいるおかげで、この選択肢も前向きに考えることができた。
精神的にも孤独じゃなく、金銭面でもゼロにならない安心感。
(私にも若干の貯金はあったから、それも安心材料だった)

 

①②の解消によって、③もなくなったけれど、いつ私に同じ問題が呼び起こされるか、わからない。

 

大学初期から私を縛り続ける「何かを作る人になりたい」呪いに挑戦しない限り、私は永遠にデザイナーを逃げ道として使うことになる。

もしこのまま結婚して子どもを産んだら、私は「あの頃挑戦しておけば」と、子どもがいる環境を呪ってしまうのだろうか。

私の考えるもっともみっともない姿だ。

 

今の私の最適解は、

「1年間、転職のできる状態までデザイナーの勉強をしながら、編集職に移るタイミングを待つ。もし部署移動が見込めなかったら、転職する」

だ。

 

 

 

うーん、こうやって文章を書いていたら、私はまた自分から逃げている気がしてきたな。

答えが数字で出ない仕事ができたらいいな。と、よく思う。

この1年ぽっちで、身の回りの環境が、ずいぶん変わった。

新しい人と出会って、心を開くというのは、それほど当人にとってインパクトのあることなのだ。

 

学生時代に比べたら、定職に就いて平日は忙しくなったし、プライベートの時間も恋人と過ごしたりして、じっくり自分の考えや言葉に向き合う機会も激減してしまった。

そうやって順調に幸せな分、何かを痩せ細らせているような気もしてならない。

(といっても、今はそういう期間なのだと思っているから、後悔は何もないのだけど)

 

新しく恋人と住む家を借りた際、大家さんがずいぶん歓迎してくれた。

そこで、元企業戦士である旦那さんと仕事の話をしていたのだが、あなたの会社はこうやったら成長する、こうやっていけばいいと畳みかけられ、私はあいまいな相槌しか打てなかった。

事業に異議を見いだせない。楽しくもない。そんな悩みに打ちのめされていた頃だった。

かつて昭和の時代に活躍した人との間にある、スケールと価値観の違いにくらくらした。きっと成長すること自体にやりがいと意義を持っていたのだろう。

 

 

規模は大きくないにしろ、会社という組織に属してみて、ベンチャーが自分に合っていないと思うようになった。

かつてはキャリアや仕事について真面目に話し合える人と一緒にいたい、という動機で入った誠実な人が多い会社。それは間違っていなかったのだが、私自身があまりにも事業への思い入れがなくて、何も語れない。

 

成長すること、上に行くこと、去年よりも今年を良くすること。

成長が当たり前なことが本当につらい。

 

資本主義社会の株式会社においてフィットしないのは当たり前だけど、

自分の思想の覚書として、成長できなかったら終わり、そんな世の中が一番間違っていると思う。美しさより、生活の利便性より、なによりも。

 

上司のひとりも言っていたけど、仕事はゲームなのだ。どうしたら目の前の課題を解決できるか。より効率的にリターンの多い結果を生むほうが得点の上がるゲーム。

 

でも、つまんないゲームを面白くする才能は自分にはないのかもしれない。

仮につまらないゲームが面白くなって、夢中になって、その先に私は何を思うのだろう。

たとえ一生懸命やったことでも、私の糧になったことなんかあまりなかった。

 

せっかくゲームをやるなら、私はこんなゲームをやっています!こんなところが面白いです!って言いたい。

自分の信念に飢えているのだ、昔も今も。

 

 

 

無事引っ越してきたあたりで、

恋人がぽつんと、「〇〇は文章で人の思いをまとめたりする仕事が合うと思うんだよな」と、地域報の助成金取得コンサルの記事を指さして言った。

 

なるほど、文章はもともと好きだし、

小説家ほどのセンスも熱意もない、編集者は忙しいし意義を感じないからやりたくない。これらの仕事は、仕事を作るのも自分たちなので、社会の余分要素だと思ってしまう。

でも、依頼者がいる仕事なら楽しいかもしれない。

私は今まで、伴走しているときが一番生きている心地がした。知り合いの仕事の手伝いをしていたときも、責任者の補助として行灯を作ったときも。

何かを伝えたい、変えたいという意志は自分にはないけれど、この人と社会をつなぎたい、なら、一生懸命になれるかもしれない。

 

 

今はまだ、何をすればいいのかわかっていないけれど、

仕事を辞めたい、から、次はどんなことをすればよさそうか、という思考に切り替われた。

自分のことをよく見てくれている恋人には、本当に感謝したい。

 

 

 

どんな人が聞いても文句のつけようがない仕事には、就けないし、就きたくない、そうプライドの高い自分は言っているのに、優等生の自分は、誰にも文句をつけられたくないと言っている。

新しい自分は、絶対に前者を選びたい。自分の魂を満足させられるのは、自分だけだから、自分の意志のもと判断する賢さがほしい。

冷笑主義から脱したい

めも。自戒。

違う思想を身につけられたら、逃げ続けたものを消化することができるかも。とにかくまだ好きじゃないのです。

人の正義を笑うな。SNSに蔓延する「冷笑主義」はなぜ危険なのか | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

2年前衝動的に日食なつこのライブに行っておいてよかった

休学を決めて広島での一人暮らしをする直前、慌ただしい予定にどうにか折り合いをつけて、日食なつこのライブを観に行った。

 

あの頃、自分も何かを見つけなきゃと焦っていて、優等生的に生きてきた自分を終わらせよう、本当の意味で生きるのだと覚悟を決めようとしていた。

日食なつこはモラトリアムにぶっ刺さる。特に希望を見つけようとしているときに。その時間の始まる象徴の意味で、歌とピアノを聞きにいこうと思ったのだ。

 

昔の気持ちに想いを馳せて胸を焦がすことなんてなかったのだが、最近になってよく感じるようになった。

よく思春期の頃がいちばん楽しかったというのを聞くけれど、自分の思春期は明るいものではなかった。その代わりとして、ようやっと希望を見始めた時期、つまり青年期が私の原点となっている。

その頃に胸に差し迫った歌に出会えたこと。当時は己の感性ながら青臭いな〜と考えていたけれど、本当の感覚には嘘はつけない。カッコつけずに正直になってくれてありがとう、当時の自分よ。

 

 

自分が社会の中で生きる道を決めることよりも、やりたいことが自分にはあった。あってしまった。

夢が欲しかった自分はもう遠く、代わりに今は、人を大事にできる自分になりたい、その自分を好きになりたいという一番の目標ができた。そのために、精神的にも経済的にも自分で立っていられる自分でいること。

 

ただ、自分の生きる道はなんだろうという問いは、持ち続けていたいと思う。いつまでも見つからないだろうが、成し遂げようとする人と比べて勝手に惨めにならないこと、ある人にはもうあるもの、それが道なのである。逆に言えば私が闇雲に流されるまま経験してきたいろいろが、いつの間にか私の前に道を作るかもしれない。

優先順位。私は隣にきてくれる人たちといちばん幸せをつくりたい。

 

 

これは消費を楽しむ生き方なのかもしれない。私がなりたくなかった。ほんとうは生産を楽しめる人間がよかった。

でも肯定させてくれ。何も志さないいま、ときどき友達や好きな人たちと楽しく過ごすことができることに気がついた今、一番生きた心地がする。仕事や課題を通してしか人とコミュニケーションをとれなかった自分が、初めて知った安らかな時間。失いたくないし、忘れたくないこと。

 

目標を持つ人を羨望の目で見るようなことはおおかたしなくなってきた、

でも、時々日食なつこを聴くと、彼女は私に問いかける。希望いっぱいだった自分が問いかける。お前はそのまま、道すら自分で決めずに死んでいくのかと。

何も返す言葉はない、ごめんなさいと思うだけ。それともいつか、今がいちばんだよと言える日が来るんだろうか。

 

そういう差し迫った思いを思い出すのは、あのときのライブを観ていた自分の感覚や感情を、空間と一緒に覚えているから。

忘れることのできない記憶になってしまった。どうやら問いからはいつまでも逃れられないらしい。

『アーヤと魔女』アーヤの生き方を忘れてた

自立とは正反対のようでいて、強い生き方。

 

NHKで録画した『アーヤと魔女』を観た。

 

ベラ・ヤーガとマンドレークの家に、アーヤは新しい「助手」として連れてこられる。自分の思い通りにならないと気が済まない勝気なアーヤは、家族の歪さにユーモアをもって真っ向から立ち向かい、適応し、拗れていた関係性をアーヤの力でほどいていく。

物語に触れたとき、「ああ、この子の行く末は大丈夫か?」と思ってしまったのだった。私の思想には機能不全家族の概念が強く根を張っている。この疑似家族でアーヤに刻み込まれた関係性の在り方は、後に社会に出たときに、大きな摩擦として立ち現れるはずだ。

そのときアーヤは深い闇に落とされる、という不安を抱いたのだった。

 

 

 

しかし、この考えは宮崎駿によって風穴を開けられることとなる。

 


宮崎駿監督が『アーヤと魔女』を語る、そして、今足りないものとは… Hayao Miyazaki(2020.12.29)

 

かの巨匠は息子の監督するアーヤと魔女を評価し、語った、「隙間をこじ開けていく力が、一番いま足りないのではないか」。

 

 

 

気がついた。

自立するということは、なんとなく、「自分がでこぼこのない、どこに置いてもなんとなくフィットする存在になる」ということだと思っていたのだ。例えば無印の家具みたいに。シンプルでスタイリッシュで、目にも優しく、何にでも合う。だから人気。

 

アーヤの在り方はそれとは違い、「ここにあるでこぼこを生かして取り入れて、自分の最も好きな形にしていく」ものである。

彼女は、環境によって形を変えられてしまう弱い存在ではない。むしろ、環境を変えていける、主体的な人間だった。

子どもらしい感性で自分の居場所をこじあけ、人の機嫌を手玉に取り、心地よく過ごしていく術を持っている。

 

どこにいても人目に触れてしまうような社会だからか、どこか無難であろうとしてしまいそうになる自分がいる。でも、アーヤの、どこにいてもこじあけていく生き方を取り入れていきたくなった。先天的なものが大きそうだけど。

 

 

 

アーヤは適応的か非適応的か、どちらの読み方も平等に可能であると思っている。

この物語の行く末は、きっとアーヤの親友との関係性の変化によって大きく変わっていくはずなのだが、残念ながらこの作品は原作者の遺作となってしまっている。原作ではもっと先があるのではないか?と本を読んでみたが、結末はアニメと同じだった。

想像の余地があるのは面白いが、創作もできない一介のファンである自分にとっては先が読めないのは残念である。

 

 

昨今は映画のプロモーションにも力が入っていて、ときどき宣伝も目に触れるようになってきた。絶対観に行きたい。できれば同じ考えを持ちそうな心理学の先輩と。

語る自分が嫌いだから自己紹介が嫌い

ひたすら反省文。

 

自分のことを語るたびに後悔する。

ちょっとしたお遊びでプレゼン付きの自己紹介をしたのだが、自分から出る言葉が卑屈でしょうがなく、後悔した。前を向く後輩たちのなんと頼もしいこと、と思ったのに、私は過去すらエンタメに出来ずにいる。情けないな。

もう昔の話はやめたいし、忘れていいと思っていたのに、ふとしたときに引き戻される。

大きすぎて、長すぎて、昔の自分の病んだ行動原理を語らないことには今の私が成り立たない。

 

 

いちばん言いたかったことって、なんだったんだろう。

きっと昔だったら、自分はすごい人間なんだぞ、だから仲良くしたらいいことあるよという、人の心を解さないいじめっ子みたいな支離滅裂なことだったけど、今はちょっと違う。でも、自分をどう理解してもらえばいいのかよくわからない。どう思われるかは割とどうでもいいんだけど、こう改めて自分を定義しろと言われたとき、卑屈なことしか出てこない自分が嫌いである。どうにかしたい。

私の魅力は私でプロデュースできるようにならなきゃならないんだろうな。ならなきゃならないのかな?自分のことや感情を身近な人にうまく発信することは、大事な能力だと思うんだよな。

 

こういうことは言いたかった。

私がなぜそれなりに楽しそうに仕事できるか。私の培ったメインのコミュニケーション手段が仕事であるからだ。

それが虚しいものだとも理解しているが、もうどうしようもない。仕事で人に優しくできたらうれしいし、優しくされたら感動する(かつて仕事は大事だよと言ったあの人は、居場所、という意味合いで、己のコミュニケーション特性の自覚ありきで言ったのだ)。そんな、人によっては渋々やっているような心の触れ合いが、私の心を潤す唯一のものだった期間が長すぎた。

この情緒の砂漠の中で、近頃やっと覚え始めた、日常におけるふれあいの大切さを学び実践し反省しながら、だましだまし生きている。

自分の欠陥のひとつはここにある。遅いけど、気づけただけまだましだと思いながら、意識していきたい。ひとりぼっちは嫌だ。

 

暗いところから抜け出したあと、気持ちをわかってあげられる人の種類が増えるかと思っていた、もちろん手を差し伸べられる人も増えたけど、一緒に底にいたまま支えあえる人は減ったから、別に自分が役立てる量は変わっていない。

「私は可哀そうな人間なのだ」というふざけた自己観念を脱した世界では、各々が甘えず自分の武器を持ち、人生をやっていた。こっちのほうがよっぽど自由で喜びも多いのに、昔の自分がどこかから、私を忘れるな、と呪っているような気がする。そいつを慰めてあげる余裕が、そろそろ出てきてほしいなあと思う。

ここまで書いて、両親に似てるなあと思った、自分の過去はこう可哀そうで余裕がなかったし、それに比べて今のあなたなら大丈夫でしょうと、こう、相手を尊重しているように見えて、自分は可哀そうだと慰めてほしそうにするところが。私が心を病んだ一因はここにあったので、他の人には同じ負担を強いないように、過去にはこだわらずに生きていきたいんだよな。

そっか、だから、自分が卑屈なことを言ってしまうのが気持ち悪くてしかたないし、自分が可哀そうと思われることに強い抵抗を感じるんだな。拗らせてしまったものは仕方がないので、拗れた結び目を整理して見守っておくしかない。

 

遊ばなかった人間が大人になってから下手な遊びに引き寄せられるように、吐き出せなかった感情も結局わだかまるものだから、私はどこかで誰かに、本当に意味で病んでいた気持ちを理解してもらう必要があるんだと思う。自分じゃどうしようもできない感情は数多くある。

次に恋する相手はそういう人間な気がする。

 

昔の自分に見せたら信じてもらえないくらいに、毎日はそれなりに楽しくやってる、愛されてもいる。

でも、理想に対してあまりにも、取りこぼしたものが多い。今ある器だけでやりくりしていかなくちゃならないのがしんどい。ああーお酒が飲める体になりたいな。

 

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私は幸せになりたいし、隣にいる人も幸せにできるようになりたい。

そのために自分の機嫌や言葉は自分で整える。次の課題は言葉だな。目標は25歳。