【星野源のANNin武道館 感想文】わからないなりに善く生きるということ
夫と一緒に、オンラインで『星野源のオールナイトニッポンin武道館』を視聴した。
源さんが中学生のときに感じた「わからなくても面白ければいいんだ」という感覚を自分なりに理解したくて、この記事を書いている。
源さんの孤独とラジオの役割
源さんはイベントの終盤、自身の孤独感とラジオに救われた話をした。
小~中学生の頃、「自分はだめだ」という強烈な自己像を形成した。
母親から「あんたはブサイクで短足だね」という言葉をかけられたこと。友だちの家に遊びに行ったのに、明らかな居留守を使われたこと。
どうすればいいか分からず、話しているグループに割り込む。何が面白いかわからないながら、何が適切な反応なのかわからず、無理やりえへへと笑う。
「自分はだめだから」仲間への入り方がわからない。
わからないながら頑張って場に合わせるから、人と関わるだけで疲弊していった。
自分が何を考えているのか、やりたいのか、面白いと感じているのか、何もわからなくなっていった。
そんな中で源さんが救われたのが、ラジオだ。
初めて聴いたラジオである『コサキンでワオ』では、関根勤が急に叫びだして、小堺さんが関根勤を吹き矢で制する音マネをする。
もちろん映像はなく、音声だけで表現されるので、何が起こっているのかまったく意味がわからない。
でも、笑ってしまった。
源さんは直感的に、「わからなくても、面白ければいいんだ」と感じたという。
ラジオと自分の間には何も入ってこない。「だめ」かは関係ない。
そこから音楽、演劇を通じて人と繋がることを知り、源さん自身の「面白い」のセンスを磨くことに繋がっていく。
では、私はどうだったか。
「わからなくても役立てばいい」を選んだ側
源さんは「わからなくても面白ければいい」に至ったが、私は「わからなくても役立てばいい」と感じていた。
中高生のとき、源さんと同じように「何もわからない」と感じていた。
アニメや二次創作が好きだった自分が、女子グループや恋愛やTVドラマが至上命題のバドミントン部に入った。お察しのとおり、何に合わせて笑っていいかわからず、流行りの言葉がわからない。
部活が終わった後の帰り道、集団で歩いていたはずなのに、いつの間にか一人になる。
なんとか話題についていこうと頑張って、嵐の5人を覚えた。流行りのドラマ「ストロベリーナイト」を観た。がんばったけど、熱量高く語るまでは興味を持てなかった。
クラスでは「グループを作りたくない」という変なプライドを持っていて、居場所がない。
家では仲良くしてくれた兄が家を出て、居場所がない。
どこにいればいいのかわからなかった。
私を保っていたのは、「分かること」である。
DSiでネットサーフィンをして、二次創作の小説を漁り、萌えを分かること。
邦ロック。特にパンクロックの、負け組の立場でもやってやろうという共感。
NHKの自然番組。満たされる知的好奇心。
分かることを手放せなかった私は、どうにか仲間を作れる居場所をつくりたかった。そして「仕事」の存在に気づく。
仕事。委員会でも学校祭でも、仕事を振られたら、どんなに厄介者でも役割が与えらえる。居場所がある。人間と相対することはできなかったけど、仕事という共通の目的があれば、人と関われた。
しかし、多くの仕事にはコミュニケーションを必要とすることも事実である。つまり、それが拙い限り、仕事にも居場所はない。
「仕事」の分野に人が少なかったときはよかったが、コミュニケーションがわかる人が仕事の領域に侵食してくると、私は相対的にはみ出していった。
居場所を求めてたどり着いた仕事の場でさえも、やっぱり何もわからなくなっていく。
もし「わからなくても面白ければいい」の価値観を持てていたら、また違ったのかもしれない。
源さんは、生存戦略として面白さを優先させた。それを極めること自体は修羅の道ではある。
しかし、わかるを捨てて面白さで人とつながれば、何もわからなくても自分の感覚で面白いと感じられていればいい。女子グループも、職場も、わかるための場所ではなくて、面白さの実験場になったのに。
そう思うけれど、自分は「役立てればいい」から抜け出せていない。
例えわからなくても善く生きるために、違う軸を持っておきたい。
不条理の中で善を選択するー何も分からない弱者の立場でも善く生きること
「役立てればいい」と違う軸を考えるヒントとなったのが、『夜と霧』だ。本書では、ナチス支配下の不条理でルールのない過酷な状況であっても善を選択する意志について描かれている。
社会的な性質を持つ人間にとって、過酷な状況とは、社会のルールから外れたり、社会のルールが分からなかったりすることも当てはまるだろう。
今の時代はまさにそうだ。人口減、高齢化、AIの台頭で将来がどうなるか分からなくても、自分が社会から外れてしまうかもしれなくても、世の中で起こっていることが何がなんだか分からなくても。
わからないから閉じこもるのではなく、この世を遊ぶ。わからないなりに遊ぼうとすること自体が、私にとっての善の選択なのかもしれない。
LIFULL HONE'Sさんのメディア「LIFE LIST」に寄稿しました③
LIFULL HONE'Sさんのメディア「LIFE LIST」に寄稿させていただきました。
ありがたいことに、今回で3回目となります。
東京都「世田谷区」の住みやすさは?魅力やエリアごとの特徴を住民が紹介
私のおすすめの場所を好き勝手紹介させていただきましたが、何かの役に立てばうれしいなと思います。
貴重な機会をいただき、ありがとうございました。
LIFULL HONE'Sさんのメディア「LIFE LIST」に寄稿しました②
LIFULL HONE'Sさんのメディア「LIFE LIST」に寄稿させていただきました。今回で2回目となります。
東京都世田谷区「等々力駅」周辺の住みやすさは?居住環境や魅力を住民が紹介
個人的にとても気に入っているカフェを紹介できて、嬉しい限りです。
貴重な機会をいただき、ありがとうございました。
LIFULL HONE'Sさんのメディア「LIFE LIST」に寄稿しました
LIFULL HONE'Sさんのメディア「LIFE LIST」に寄稿させていただきました。
東京都「尾山台駅」周辺の住みやすさは?住環境や魅力を現地民が紹介
初めて記名記事の機会をいただき、大変ありがたかったです。
住まいを探す方々のお役に立てることを願っております。
2023年も残り2カ月、キャリアの舵を切る準備をする
身近な人が転職活動をしている。職務経歴書を書くにあたり、彼が今までの仕事についてまとめていたので、私も便乗して現状をまとめてみることにした。すると、今の仕事に虚無を感じていた原因が分かったのである。
使ったのはマイナビのサイトに載っていたフォーマット。
キャリアの棚卸しのやり方 転職活動に役立つフォーマットと活用方法
キャリアの棚卸しをしてみて、気が付いたこと
今までの思考を整理して気づいたのは、「業務が会社の利益に繋がっていると実感できないとしんどい」「事業が社会の利益に繋がっていると実感できないとしんどい」という思いだった。
業務が会社の利益に繋がっていると実感できないとしんどい
かつて社会人生活の中で一番悩んでいた時期、「自分の業務が会社の赤字を生んでいる、何の意味もないことをしている」と感じていた。
新規顧客を獲得するのが目的だったのに、顧客一人を獲得するのにかかるお金が高額すぎて、リピートしてもたらしてくれるであろう利益の範疇を超えていたのだった。
この問題は私一人にはどうにもならない、構造的な問題だったので、自らの無力と会社を呪ったものだった。
結局その業務は、構造を改革するチャンスがあり、少しだけ利益性を改善することができた。その後、組織が変わるタイミングで別のチームに加わることとなった。
別のチームでの業務は、社内で手つかずだったことが多く、伸びしろも十分にある分野だった。
しかも、以前から興味があった企画やライティングの業務に携わることができたので、私のモチベーションはぐんぐん回復した。
事業が社会の利益に繋がっていると実感できないとしんどい
しかし、新しい環境での業務に慣れてくると、だんだん虚無を感じはじめた。「興味がある分野なのに、なぜだろう?」と考えていたが、しばらく答えは出なかった。
そして今、キャリアを振り返り、虚無の答えが出た。私は、「会社・事業の根底にある価値観にまったく共感できない」。
わが社は、世の中に便利なものを創造するために生まれた会社である。
しかし、私は人間の利便さを追求することにまったく魅力を覚えない。
むしろ私は、過剰な便利さは環境を破壊し、人間の感覚を鈍麻にする「悪」であるという立場だ。
世の大企業はSDGsに目を向けており(向けざるを得ず)、たとえ表面的であっても、社会的インパクトの大きい事業を営んでいる者としての責任を負おうとしている。
しかし残念ながら、わが社は環境や倫理に目を向けているとはいえない。
私は、信念とは逆の方向に進んでいたのである。
キャリアの舵を切るために
私の願う社会とは、次のような社会だ。
- 5年後、10年後、50年後の自分も、健康で文化的な生活を営んでいたい。子どもや孫の代まで、豊かな自然が残っていてほしい。
- 私は家族や友人、地域とつながりたい。そして、「孤独」による害をなくしたい。誰もがつながり、人の温かみを感じられる社会であってほしい。
こうした社会に貢献することに、私の人生を費やしたいのである。
まずは、情報収集から始めたい。
「〇〇士」と名前のついている職種には収まらない気がする。世の中にはどんな取り組みがあるのか。
本を読み、人と交流し、インプットしたうえで、自分の考えを熟成させていく。今年残り2カ月で、全力で取り組んでいきたい。恐れずにいこう。
文章で人とつながりたかった承認欲求の断末魔
知り合ってから約10年。ずっと私の心をかき乱す友人Aがいる。
Aは、文章を書く人だ。知り合った当時からAには文章で人の心を動かす能力があった。Aは卒業式で答辞だかを読んでいて、いたく感動した私は、答辞全文を厚紙に印刷して、しばらく部屋に飾っていた。
卒業後も文章書きを続けているようで、ときどき、SNSで「書きました」というメッセージとともに、エッセイのURLが貼られていることがあった。社会人になってからは、ライター仕事もちょこちょこ請け負っているようだった。
最近は特に、精力的にエッセイを投稿している。まるで覚悟を決めたみたいに。
そんなAの躍進を見て、暗い感情がぐるぐると止まらないのである。
文章での表現は、私がやりたかったことだった。
抑圧していたことを文章によって解放し、救われること。人に見てもらうこと。今度は人を喜ばせたり、救ったりすること。
文章で、身近な人に私のことを認めてほしかった。褒めてほしかった。一目置かれたかった。
そもそも私が文章を書く原動力は、整理しきれない感情や、説明するほどでもない感動、どうにも一人では抱えきれないことをネットに打ち明けるためだった。
夫ができたことで、感情の処理の仕方がまるで変わった。心が動いたときは、まずは夫に打ち明けた。
前までは、表現することで救われようとしたけれど、シェアすることで思いを昇華できるようになった。そうなってしまった。
「シェアする」は、居場所を求めていたころの私の理想だった。だから、今の私は、当時の私から見れば、成長したとも言える。
理想に近づけたはずなのに、Aを見ていると、当時の焦燥感がゾンビのようによみがえってくる。
居場所を探していた遠い自分が泣き叫ぶのだ。うらやましくてたまらない、と。
Aがすごいのは、まずは圧倒的に実力があること。そして、身近な人に「そう生きていく」と発信する覚悟を決めたことだ。
私には、どう逆立ちしてもたどり着けなかった。
文章を生み出す原動力だった、承認欲求や焦燥感がなくなってしまった以上、何も変えられない。
だからこの感情は、当時の承認欲求の断末魔。いつか、どうか救われてください。
そして、今のAを応援する勇気を、私にください。
たとえAにとって、私が人間関係の断捨離の対象であっても。
1年後の自分はこうなっている
この1週間くらい、仕事で病んで、職場で泣きまくり、ずいぶん色んな人に迷惑も心配もかけた。
仕事の辞め方をめちゃくちゃ調べた。
同時に、次の道も考えた。そしてわかった。
私は自分の仕事を喜んでもらう人(エンドユーザー)が目の前にいてほしい。
私の今の職場での悩みはこうだった。
①業務がわからない。何に取り組めば状況が好転するのかがさっぱりだ。
こちらは周りの人たちや、上司が解決してくれた。
そもそも上司不在により顕在化したこの問題。
私の仕事を理解したり、一緒に戦ってくれる人がいないこと。
ベンチャーなのだから言い訳は無用だが、私にベンチャー適性があまりないことは薄々わかってきて、解決策の見えない問題をヒントなしに与えられることがストレスでしょうがなかった。
周りが随分と心配して話も聞いてくれたけど、「自分には何もできないな」と匙を投げられまくった。心は軽くならなかった。
上司が帰ってきて、対岸の火事ではない話の聞き方をしてくれて、責任を一緒に持ってくれる存在のありがたさを感じた。
「一緒に戦ってくれる人がいないと、しんどいまま」という上司の言葉も少し理解できた。
②業務に取り組む意義がない。とりわけマーケティングという分野は自分は好きじゃない。
こちらは、前の部署の上司が解決してくれた。
編集部署を作ってみたいと思っているから、そこができたら来い、と言ってくれた。
半年から1年後になってしまうと思うけど、全然保証はできないけど、とのこと。
だからくさらずにがんばれ、と。
誰よりも、私よりも私の興味関心をとらえてくれた元上司。ありがとうございますという言葉に尽きる。
今の道を永遠に行くものだと思っていたから、未来に違う仕事が待っているのだと思えば、もうちょっと今のまま続けてみるか、という気になった。
そして、①②は結局好転したけれど(逃げ道を見つけたけれど)、①②がどん詰まりだった期間には、
③会社から逃げたい、もあった。
今の会社から逃げても、次の道を探す必要があった。
何かしらの制作者になること。デザイナーになること。
幸い、心強いパートナーという味方がいるおかげで、この選択肢も前向きに考えることができた。
精神的にも孤独じゃなく、金銭面でもゼロにならない安心感。
(私にも若干の貯金はあったから、それも安心材料だった)
①②の解消によって、③もなくなったけれど、いつ私に同じ問題が呼び起こされるか、わからない。
大学初期から私を縛り続ける「何かを作る人になりたい」呪いに挑戦しない限り、私は永遠にデザイナーを逃げ道として使うことになる。
もしこのまま結婚して子どもを産んだら、私は「あの頃挑戦しておけば」と、子どもがいる環境を呪ってしまうのだろうか。
私の考えるもっともみっともない姿だ。
今の私の最適解は、
「1年間、転職のできる状態までデザイナーの勉強をしながら、編集職に移るタイミングを待つ。もし部署移動が見込めなかったら、転職する」
だ。
うーん、こうやって文章を書いていたら、私はまた自分から逃げている気がしてきたな。
答えが数字で出ない仕事ができたらいいな。と、よく思う。