ファーストミートに凝縮されたもの

私をまちがいなく救ってくれた人の門出の日、結婚式がすばらしかった。あれ以上のクオリティの式に列席することはもうできないんじゃないかと思う。

心から人の幸せに感動したのは初めてかもしれない。なんで涙が出たのかわからない。

 

ファーストミートで花嫁のウエディングドレス姿を見た、あの瞬間を忘れることはないと思う。びっくりするほど美しかった。

あらゆる覚悟を決めて、準備や周囲への気遣いに心を割き、協力しあい、いやそれよりも前に一人を愛するって決めて何年もの間縁を大切にして、なんて、途方もない道のりだっただろうな。

その積み重ねが、このウエディングドレスなのだと思うと、美しいと思わずにいられなかった。美しさは確実に努力を反映する。ファーストミートに立ち会えたことがこんなにも嬉しい。

あとで花嫁本人から友人の結婚式に参加する気持ちってどんななのって聞かれたけど、負の感情はまったく湧かなかったと答えた。純粋に今までの努力を称えたかったし、どうか幸せになってほしいと思った。このふたりが幸せでいられるなら何かしてあげたいと素直に思えた。そういう綺麗な感情が自分の中にあることを知れて嬉しかった。

 

ひとつ思うことがあるとすれば、私にはもうこの道、いわゆる親戚友人をたくさん呼んで式をするような道は残されていないと確信したことだった。自分が主役になるなんて考えただけでぞっとするし、したいとも思えなかった。そもそも互いに思いをきちんと伝えあうような関係性を各所に築くことは私にはもう不可能だ、できる人はもうできているのだ。

少し悲しいと思ったけど、むしろすがすがしい気持ち。諦めたら諦めたで、その先に人生は続くのだから、もう途方もないことを期待しないほうが健康でいられる。関係性の形はひとつじゃない。定型を外れたとて不幸じゃない。と信じたい。

 

でもあまりにも素敵だったから、友人の結婚式には、もっと出てみたいと思った。

 

追悼その2

先輩との思い出を綴ることで自己満足の追悼文とする。

 

出会ったのはTwitterだった。わたしがした何気ない投稿により、高校が一緒であったことを知った。

それからあれよあれよと言う間に車で石狩に連れて行ってもらうことになったのだ。防風林でカラ類の群れと戯れた。先輩の代の人たちに囲まれて可愛がってもらった記憶がある。

それから鵡川にも連れて行ってもらった。元日に近い記憶がある、たしか1月4日だったと思う。

北海道で何故かここにだけいるカササギや、ホオジロガモの群れ、コチョウゲンボウとそれに群がるカメラマン達を見た。何か奢ってもらったな。

 

鳥を見に遠くへ行くことのおもしろさを教えてもらったな。そして同じ趣味どうし、こんなにも時間を共にするのが楽しいなんて知らなかった。その先輩をきっかけに、会える人には会いに行くようになった。野鳥趣味から退いてしまった後でつながっている人がいるわけではないけど、あの頃の人との繋がり方をこの先も踏襲していくだろう。

 

 

お世話になった。間違いなく今の私を作ってくださった人のひとりだった。長らくお会いしていなかっただけに、先輩の死が目の前にうまく立ち上がってこない。とにかく自分と直接繋がりがある人が亡くなるのがはじめてでよくわからない。どうしたら消化できるのかな。

風向きが変わった/愛と転生を理解しかける

オンライン合説、飛生を経て、自分のエネルギーの使い方が変わった。

 

これまでは、ただ自分の焦りを鎮めるためだけに、周りの出来事を利用していたように思う。

たとえ他のことを犠牲にしてエネルギーをそこに注いでいたとしても、「これを経て自分は何かを得られるはずだ」という打算を持ち続けていた。未知や好奇心に挑戦するのは、自分の気を済ませるため。通り抜ければ自分のことが少しでもクリアになるだろうという期待。

 

今年大きかったこの2つの出来事は、性質が異なっていたように思う。それは「もともと持っていた無理のない自分を人に分け与えていた」という点において。

大げさに言うならば、私は周囲に対してできることを純粋に考えて行動していた。何かを得ようとは考えていなかった。ただ全体最適を考えて、自分が持っている時間知識熱量を提供したと思う。だから、エネルギーが内でくすぶっている時間が減った気がする。

 

今まであらゆる出来事に立ち向かうときに常に考えていた「自分のことがよりクリアになってほしい」という期待は、言い換えれば「自分が受け入れられる場所はどこなのだろうか」という問いであった。

問いの答えは、自分が元々持っているもの(例え言語化されていないにしてもだ)がより喜ばれる場所で時間を過ごせばよい、だった。

 

この分野ではあまり事情が分からない、という分野でエネルギー量を調整しようとしても暴走するのは当たり前だ。勝手がわからないところでは、そもそも適切かどうかさえ判断する力がないのだから。そしてその分野だけに自分を依拠させることはしんどい。

トライして失敗して、摩耗する経験は自分の幅を広げるために必要かもしれない。でも、自分の守備範囲でまわりを元気にすることも同時にやっておかないと、自分の居るところが分からなくなってしまう。そのうちとりこぼす感情や感覚が多くなって、せっかく摩耗した経験もうまく消化できなくなり、取り返しのつかないことになるんじゃないかと。

 

素の自分を表現しても煙たがられず、むしろ喜ばれる場所を見つけるのは、多数派に共感できないたちであるほど、困難になる。それでも人は居場所を見つけることを諦められない。人間関係だけじゃなく、仕事だったり、自然だったり、文化だったり、思想だったり。

そして、自分が元来持っているある方向への熱量は、自分ひとりで見つけられるものではなく、人や物事や環境に対峙したときに、はじめてわかるものである。エリクソンのいうアイデンティティの定義のように。

 

鳥を探すとき、そこにいるかどうか分からない鳥を見つけることは本当に難しいのに、一度鳥を認識すると、次もその次もと、面白いように出会えるようになる。

「あるかどうかわからない」ものを追いかけるのには才能と運が必要だけど、「確かにある」と気がついたものをもう一度探すのは、もう少し簡単であるはずだ。

2度目の4年生にもなってやっと、居場所があるという感覚を掴むことができた。いつかその居場所を手放すときがきても、一度得た居場所の感覚は無くならないと信じたい。

 

 

違うエネルギーの使い方を知ったいま、人生の風向きがなんとなく変わった気がする。あんなに難しいと感じていた身体や心の使い方を、会得していくスタートラインにやっと立てたような。悪い気分じゃないなと思える。

 

 

 

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遠藤周作『深い河』を友人の薦めで読んでから、少しずつ愛と転生について考えている。頭では理解できたけど、まだしっくり来ていない。

 

ああ、そういうことだったのかと、突然真理めいたものが納得できる瞬間がある。そういうタイプの納得は長くは続かず、1分くらいで夢のように忘れてしまうのだけど。

さっきその瞬間が訪れて、少し掴みかけたということは、私が生きているうちにこの概念を心からわかるときが来るのかもしれない。

 

そう、自分が生きているうちには、ということをさっき考えたんだった。

自分が生きているうちに、他の人にしてあげたいことはすべてしておきたい、と思い当たった。

例えば愛している人に愛情を伝え続けるだとか、他の人には任せたくない済ませておきたい仕事にあたるとか、一緒にしたらきっと楽しめることを楽しむ機会を作るとか、今できなくても将来必ず与えたいことを学ぶとか。

死んだらもう、人を喜ばせることもできないし、数少ない理解者を見つけて分かり合うことも、あるいは何かに表現してとどめておくことも、できなくなるのだ。

 

こういう欲求は女性的だなと思うけれど、素直にしたいと思えることを突き詰めるとここに行き当たる。

自分のうちにある男性的な夢や目標は何か、見つからない自分に劣等感を抱くこともあったけれど、わたしが満足して生を全うするために、夢は必ずしも必要ではないと気がついた。もしいつか夢を見つけたら生活における価値の判断基準ががらっと変わるだけであり、生の価値が変わるわけではない。まだちょっと夢への未練はあるけれど、ちかぢかその考え方を身につけそうなのである。

 

生きているうちにしておきたいことを、自分をとりまく周囲の価値観に左右されず素直に考えられるようになったのも、「風向きが変わった」からであり、自分を表現する場所に身を置いているからである。

ひとまず、そのように生きていくことに、今の私は異論がない。

プリンプリン

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プリン食べた。半年くらい恋焦がれてた。

来年大学院に進学する友人の話を聞いて、その人の卒業までは私も猶予期間で良いのではとか考える。

 

企業に勤めあげかけの大人たちの話を聞いて、こんなに考え方が違うのだと思った。お互いに違いを認識し許容しようとしつつも、理解し合えない何か。

わたし、頭と意地が悪いんだろうな。世の中の貨幣の流れも知らず、立ち振る舞い方も知らず。

知ろうとせず。

どうやったらルールを上手く使って下の世代に良い世の中を残してあげられるか、その勉強を怠る。

 

ひとつ答えが見えつつある。あとは言い訳をして逃げない、1番難しいけどそれだけ。

 

全部終わったらお祝いにひとりでプリン食べたい。もう一つ、食べに行きたいお店がある。