行灯をつくって喜ばれる

今年の行灯は、4年間の集大成みたいだった。

 

 

 

夏の同窓会総会のために行灯を作ってくれませんか、と、春に母校の同窓会から連絡をもらった。毎年市内のホテルで、同窓生が集まる会が催されるのである。

今年のテーマは「灯」だから、そのテーマに沿って、ぜひ行灯をシンボルとして披露したいというのであった。

 

 

ここでいう行灯というのは、単なる灯りのことではなくて、いわゆる東北のねぶたと同じものと思ってもらえればいい。

母校の学校祭では、一クラスに一基、行灯をつくることになっていた。制作場所のテントを建て、木材を切ることからはじまり、約1カ月の制作期間を経て完成させる。

毎年どうしてか、この1カ月のために熱中する人たちが出てくる。私も当時そのひとりだった。いつしか代を越えて繋がり、卒業してもまた作りたいという人が集まって、行灯をつくる会、灯雪会が発足した。

2016年と2017年に一基ずつ、行灯を作った。2016年は大学の学校祭の場を借りて、2017年は廃校となった小学校で制作し、展示した。

 

 

卒業しても学校祭をしつづけるような風変わりな団体の存在を、今年の同窓会幹事の方々が聞きつけ、やってきてくれたのだ。

毎年製作場所と展示場所に困っているため、それが与えられることは青天の霹靂だった。 題材や条件が決まり、準備にとりかかった。

 

 

 

2か月間の制作期間を経て、来たる同窓会当日、朝から完成品を会場に運んだ。実は私は今回制作にほぼ関わっていないけれど、当日はちゃっかりお手伝いさせてもらった(完成したのは当日の夜中2時、お疲れ様です…)。

 

 

 

リハーサルを経て、いよいよ本番、

 

ぱ、と灯りがついた瞬間、照らされた観客の顔がみんなステージを向いていたのを見た。会場の空気がぐっと動いて、あとから500人ぶんの手拍子が鳴り響いた。スマホと、スマホを持っていない世代はデジカメで、思い思いに写真を撮る。

自然と懐かしい同窓生との記念写真のシンボルスポットになったり。

2mの行灯になんと引き取り手が現れたり。

作った行灯に泣いてくれ、ありがとうと言われたり。

 

これらすべて、会を立ち上げた当時の3年前は思いもかけなかったことだった。

 

 

 

 

 

ずっと見ていた誰かの熱意が結実する瞬間を、目の当たりにしたこと。

みんな感じるところがあったみたいだけど、私にはそれが一番大きかった。

 

 

何年もかけて「好き」と向き合って、それが認められて、いつしか求められるようになる段階を迎えて…なんていう出来事が身近で起きると、純粋に好きなものを追いかけていればいつか認められるってことを、実感として信じられる気がする。

 

先輩方みたいになりたい、とぼんやり思っていたけれど、数年たって、それを言葉にすることができるようになった。理想を持ち続ける力。現実にする力。

 

 

 

 

 

我が物顔でこうやって記すことに後ろめたさもあるのだけど、やっぱり残しておきたくなった。 最近顔出せずごめんなさい。

 

なんにしろ、今年も無事に終わってよかったなあ、とほっとする思いだ。

完成よりもお披露目よりも、仲間が誇らしく楽しげにしている姿を見ることが一番うれしい。