帰ってきたんだ

先月、10日間トルコ、3週間ヨーロッパの旅から帰ってきた。

トルコは高校時代の友人と二人、ヨーロッパは一人で、行ってきた。

どちらも本当に楽しかった。トルコは明るい友人とまわれて最高だった!

 

 

旅のスタイルには性格が出る。

全てが自由だから、例えばプランをきちんきちんと立ててから行く人、ノープランの人、歴史的建造物を見たい人、自然を見たい人、何かテーマを持って行く人、人と喋る人、喋らないでその場を味わう人。

正解がないから、その人の本質が出るんだろう。

 

私のヨーロッパ一人旅はほぼノープランだった。決めよう決めようと思っているうちに、トルコに来てしまっていた。まあなんとかなるかという人生観がもろに出ている。私の旅友達には多そうだ。

しかし、これが私にとっては正解だった。私の感動ポイントは、「知らないことを自分の力で切り開いて見つける」ところにあった。ツアーが組まれていたり、事前に「ここがすごい」が分かってしまっていては、味気なくて、自分には物足りないのだった。

そのおかげで、一生語れる夜景を見つけたり、すばらしいお母さんとでも呼ぶべき人を見つけたりした。思いがけないところにある感動こそ旅の醍醐味だということを思い知らされたのだった。

 

 

3週間で9か国という急ピッチで進んだから、ほぼ首都めぐりと化してしまい、人におすすめされたところすらまわりきれなかった。

その残念さで分かったことがある。この世のすべてを味わいつくすには、ひとりに与えられた時間も能力も、足りなさすぎる。

世界一周をした友人は、帰国した後の感想で、余計に行きたいところが増えたと言っていた。私も同感で、次に旅に出るならばもう一度ヨーロッパ方面へ行って、もっと深く堪能してみたい。新しい大陸に行くよりも、それが先。

だから、たとえ大富豪になったとしても、人生80年間で世界中の見どころすべてを経験して、血肉にすることなんて、不可能なんだと思った。そういうミーハーで押しつけの欲望を満たそうとすれば満たそうとするほど、いつまでも満足することはないのだ。

 

自分のあらゆる趣向を省みる。音楽や映画などエンターテインメントや、例えば学問なんかも、目的もなしになんでもかんでも手を出していては、いつか時間切れになるなあ。

今もっているものを大事にできていない、他にももっと魅力的な世界があるっていう希望を持ち続けている最中にも、いのちは使われつづける。隣の芝生が青く見えつづけているならば、何か覚悟を持って自分から、本当の意味で自分から、心を動かさなければならないと思った。(本当に逃げたほうがいいこともあるけれど)

 

 

感じたところが多すぎるから、写真や文章をまとめたくなってきました。

ちかぢかZINEをつくります。自己満足!だけど、誰かの感性の一助になればうれしいな。