人の一日をみじめにさせてはいけませんでした

ひとつ歳をとった。

 

 

前日から兄の一家がうちに来ていて、朝遅く起きると甥と姪がリビングで遊んでいた。

友人から、コーヒーのプレゼントが届いていた。折鶴がついた洒落たメッセージカードと、浅煎りと中深煎りの2種類のドリップコーヒーがセットになっていた。母と義姉と分けて飲む。

カタラーナがうちにあったのでどうせならとお茶うけにしていると、姪も一緒に食べたいとやってきた。テレビ画面にはYoutuberのゲーム実況が延々と流れている。この作者、撮影がうまいなと感心する。

 

夕食はお寿司をとってもらって、近所のおいしいネパールカレー屋のカレーもテイクアウトして、軽く乾杯をした。寿司もカレーもと多すぎて沢山余らせてしまった。

喧嘩中の母とは、あまり喋らなかった。普段一切ことばを交わさない父とも。何を話していいかわからない兄とも。

私は甥と姪と義姉を頼りに、なんとか場についていく。

 

なぜだか、いつも以上に自分が透けているように感じて仕方なかった。いなくても全く構わない、何にも関与できない無力な存在。

 

一家が帰って、私はろくに残った家族と会話もせず、部屋に戻ってぼーっとしていた。

インスタで調べたカフェのリストを見返す。夜にひとりでドライブしてカフェに行こう、髪を染めてやろう、などと画策していたのだけど、あまり元気じゃないし雨も降っているしでやめた。

 

しきりにSNSを開いている。

わたし、誰かからのとびきりのお祝いを待っていた。

 

夜にドライブしてやろうとか髪を染めてやろうという計画も、すべては特別な日であることを願っていたから、ということに気がついてしまい、戸惑った。

自分へも自分をドライに見せておいて、こんなに欲張りだったのか。

知らない間に、自分から何も大切にすることができないのに他人からは構ってもらいたがる、いびつな大人になりつつあった。

 

誰かに大事にしてもらう感覚が照れくさく、居心地が悪いからと、ずっと忌避してきたつけがここでやってきた。

その感情は、捨ててはいけないものなんですよ。あなたはこのままでは、誰のことも、自分すら満たせない人です。

 

 

 

だから、23歳の目標は、24歳の誕生日が寂しくならないようにすること、になった。

見返りを求めるようで気が引けるけれど、来年の誕生日が今年よりも少しでもあたたかい日であればいい。

 

逆に、誰にもみじめな誕生日を迎えさせてはいけない。私も他人の誕生日を、少しでもあたたかいものにしたい。

そのために、私から人を大事にする。私から受け入れに行く。大切な人に大切と言葉で伝える。相手の価値観を尊重する。どうせ理解し合えないからこそ、気持ちは言葉と行動で示さないと、すべて伝わらず終わってしまうから。

一度何が大事なのか、落ち着いて考えて、直視するといい。決してひねくれず、慎重に。

 

そうして、人の毎日を少しずつ照らすことを、積み上げていきましょう。まだまだ間に合います。今がいちばん取り返し時です。