引きこもり好きつれづれ

不要不急の外出を控えよ、と引きこもる言い訳が出来たのでこれからも引きこもっていきます。

 

 

ずっと机に向かってると、1日8時間余裕で勉強していた受験のときを思い出す。

あのときリピートで聞いてたなあという曲とか。すろぉもぉしょんが好きだったのをふと思い出した。


ピノキオピー - すろぉもぉしょん feat. 初音ミク / SLoWMoTIoN

 

チャットモンチーは聞き流すのにちょうどよかった。年季入ったファンだったからメロディにいちいち引っかからなくて済んだ。

星野源はひとりの登下校用。歌詞をちゃんと聞きたかったから。

とか。あの頃のYouTubeはまだあまり広告がなくて歌を探しやすかった。今は気が散ってしまうから自動再生にできない。

 

 

やることどうにか終わらせて、まだまだ引きこもってなんか作りたいな。北海道で会える人にも会っておきたいな。一人暮らしはどんな家にしようかも想像しつつ。

来年もきっと初日の出は見られないだろうな。ひとりは寂しい。あとはこの冬に、どうにか、コオリガモの声を聞きたい。道東の海へ。

 

卒論終わったらまずDELTARUNEやろう。

現代の虚無感にむきあう

21世紀美術館にふらっと寄ったときに、村上慧という美術家の展示に出会った。

 

移住を生活する。

目の前で起こるさまざまなことに対する思考の反応のしかた、それを整理したいという欲求や、実際に文字にして表してしまうことなど、すごくすごく共感してしまった。実際に自分の時間をそう生きて、こうして私たちの眼前にあらわしてくれることを感謝した。

資本主義のうさんくささへの主張は、きっと若い世代の多くが根っこの部分で考えていて、でも社会のスタンダードがそうじゃないからと上手く表現できないことを、はっきりと言葉にしてくれたようだと感じた。そうだよな、やっぱりこの世はおかしいよな。

 

そして、批判したからといって何かをした気になるなという言葉、他人にさした指が自分にさされている複雑さについて、なんてままならない世界だろうと思う。うかつに人を批判できないのは、自分もその破壊に携わっているからだ。

 

似たような(と言っていいのかわからないけど)感覚を持っているこの人が、こうやって際限なく答えのない問いを考えてくれている―それだけで私の脳みそのメモリを少し空けることができる。きっと自分が考えるよりも精度高く、現実の感覚をもって思考を展開してくれる。

では私はどうやって社会と向き合おうか。

 

本も買った。

家をせおって歩いた

家をせおって歩いた

  • 作者:村上慧
  • 発売日: 2017/04/17
  • メディア: 単行本
 

 

Gezanも聴いている。

DNA

DNA

 

記憶の自分を呪わない

飛行機での帰り際に、ふとかすめた考えに固まってしまった。

自分の過去を呪わずに生きていける可能性について。

 

少し前みたいにわざわざ取り出して眺めまわすことは無くなったけれど、囚われているものがある。

自嘲が他人からすれば鬱陶しいのももうこの年になれば分かっているから、表には出さないけれど、自分のことを汚い人間だと思っているのは変わらない。

救われたいという願望だけではここから抜け出せないから、けっこうあがいてきたのだが、これ以上こじらせることがなくなっただけで、根本は変わらないみたいだった。

 

ただ、結婚式という美しいものを見た影響なのか、そういう自他の汚らしさを忘れて生きていく可能性に気がついた。

自分のことばかり考えて生きてきた自分のことは許せないし、信用できない。でも未来においても信用できない自分を証明するために行動する必要はない。

根本は変わらなくとも、他人との関係性は変わっていく。いつか素直な思いを受け止めてくれる人がいるといいし、もういるし。

いつか受けた理不尽に対して、不甲斐なかった過去の自分自身に対して、いつも怒っている。でも、そんな歪さを忘れて無責任に他人を思っても誰にも怒られない。自分が精神的に得をするかという損得勘定を考えずに、一方的に与えたり与えられたりしてもなんの支障もない。

 

私はずっと自分のことしか考えていなかった。自分がいかに潔癖であるかとか、努力しているように見えるかとか、他人に負の感情を向けられないか、いかに立派に見えるか、その達成のためにはいろんな情やさしのべられた手なんかを切り捨ててきたと思う。独りになってしかるべき行動だった。今も何も考えないと習慣が残っているのが悲しい。

寄り添われたら逃げたくなる、近づかれたら逃げたくなるのは、そんな汚い自分を見られたくないからだ。 

 

色んな人を見た。真っ先に他人のことを考えて手を差し伸べてしまう人。とにかく人を楽しませようとする人。周りを穏やかに慮る人。みんな形はそれぞれだったけど、一様に輝いていた。

ずっとずっと他人のことを考えるふりをして、自分のことしか考えられなかったのが情けない。もう自分は最低限強くなったんだから、わざわざ守る必要はないはずだ。そのぶんを他人に使えないだろうか。

 

 

自分の中にきっと一生残り続ける罪は、そのまま否定せずとどめておくほかない。消すことはままならなかった。そのうえで私はあえて贖罪ではなくて、変化を選んでいきたい。

大きなことを達成しなくてもいい。ただ色んな人と手を取り合って生きていきたい。どんなに気恥ずかしくとも時間がかかっても、これまで出会った人やこれから出会う人に、思いが正しく伝わるようになればいいと思うし、そのための努力は無駄ではない。

ファーストミートに凝縮されたもの

私をまちがいなく救ってくれた人の門出の日、結婚式がすばらしかった。あれ以上のクオリティの式に列席することはもうできないんじゃないかと思う。

心から人の幸せに感動したのは初めてかもしれない。なんで涙が出たのかわからない。

 

ファーストミートで花嫁のウエディングドレス姿を見た、あの瞬間を忘れることはないと思う。びっくりするほど美しかった。

あらゆる覚悟を決めて、準備や周囲への気遣いに心を割き、協力しあい、いやそれよりも前に一人を愛するって決めて何年もの間縁を大切にして、なんて、途方もない道のりだっただろうな。

その積み重ねが、このウエディングドレスなのだと思うと、美しいと思わずにいられなかった。美しさは確実に努力を反映する。ファーストミートに立ち会えたことがこんなにも嬉しい。

あとで花嫁本人から友人の結婚式に参加する気持ちってどんななのって聞かれたけど、負の感情はまったく湧かなかったと答えた。純粋に今までの努力を称えたかったし、どうか幸せになってほしいと思った。このふたりが幸せでいられるなら何かしてあげたいと素直に思えた。そういう綺麗な感情が自分の中にあることを知れて嬉しかった。

 

ひとつ思うことがあるとすれば、私にはもうこの道、いわゆる親戚友人をたくさん呼んで式をするような道は残されていないと確信したことだった。自分が主役になるなんて考えただけでぞっとするし、したいとも思えなかった。そもそも互いに思いをきちんと伝えあうような関係性を各所に築くことは私にはもう不可能だ、できる人はもうできているのだ。

少し悲しいと思ったけど、むしろすがすがしい気持ち。諦めたら諦めたで、その先に人生は続くのだから、もう途方もないことを期待しないほうが健康でいられる。関係性の形はひとつじゃない。定型を外れたとて不幸じゃない。と信じたい。

 

でもあまりにも素敵だったから、友人の結婚式には、もっと出てみたいと思った。

 

追悼その2

先輩との思い出を綴ることで自己満足の追悼文とする。

 

出会ったのはTwitterだった。わたしがした何気ない投稿により、高校が一緒であったことを知った。

それからあれよあれよと言う間に車で石狩に連れて行ってもらうことになったのだ。防風林でカラ類の群れと戯れた。先輩の代の人たちに囲まれて可愛がってもらった記憶がある。

それから鵡川にも連れて行ってもらった。元日に近い記憶がある、たしか1月4日だったと思う。

北海道で何故かここにだけいるカササギや、ホオジロガモの群れ、コチョウゲンボウとそれに群がるカメラマン達を見た。何か奢ってもらったな。

 

鳥を見に遠くへ行くことのおもしろさを教えてもらったな。そして同じ趣味どうし、こんなにも時間を共にするのが楽しいなんて知らなかった。その先輩をきっかけに、会える人には会いに行くようになった。野鳥趣味から退いてしまった後でつながっている人がいるわけではないけど、あの頃の人との繋がり方をこの先も踏襲していくだろう。

 

 

お世話になった。間違いなく今の私を作ってくださった人のひとりだった。長らくお会いしていなかっただけに、先輩の死が目の前にうまく立ち上がってこない。とにかく自分と直接繋がりがある人が亡くなるのがはじめてでよくわからない。どうしたら消化できるのかな。