こんなことも幸せだ、って自覚できることが幸せなんだろうか。
なんて、友達からお悩み相談の電話がきて、思ったのでした。
友達がいない期間があったから、誰かが私を思い出してくれるような状況に弱い。すぐうれしくなってしまう。すぐハッピーになれる。
こんなときには、友達ができるまでよく自暴自棄になりきらないで耐え抜いてきた自分、と、褒めてやりたくなる。
人に優しくできると、ほっとする。自分はまだ誰かと関係する資格があるのかもしれないと思う。
幸いなことに、周りにはそういうことを心からちゃんと表現してくれる人たちがいるから、ずいぶんと救われている。
例えばそんな幸せを知っていながらも、やれやりたいことを見つけなきゃ幸せになれないだの、運命の人だの、親がどうだの過去がどうだの。
不幸ぶってるのは、あまりにも恥ずかしいことだったり、するのかなあ。今のわたしはご機嫌で満たされているから、不幸ぶるのは恥ずかしいことだよとはっきり思う。
でもきっと、やっぱりうまくいかない自分はすぐに顔を出すし、その自分は言い訳をはじめる。こうだったらこうなったら。
結局は、毎日を生きる実感をもって過ごすこと。そのためにはお互いに満たし合うこと笑うこと。わかってるけれど、不器用な頑固者には難しい。
でも諦めないでいれば、10年後くらいには少し上手くなっているはず。友達がいなかった頃から10年後、ちゃんと友達はできているから、という安直な考えだけど、わりと信じてる。10年後には悩みじゃなくなってる説。
夜中だからとりとめがなさすぎることを書いてしまった。これもまた日記ということで。
最近見つけた、焚き火しながら聴きたい曲。しっぽりすぎるから聴かないけど。